みなさん民泊ってそもそも何かご存知でしょうか?
弊社公式ブログでさんざん民泊について触れてきましたが、あえてここで一度民泊とは何なのかを振り返りたいと思います。
民泊とは、ズバリ一言で言えば「おもてなし」なんです。
今回の記事はちょっとした箸休め気分で読んでいただければと思います。
エアービアンドビーの「ビーアンドビー」って何?
「民泊」と聞いて、皆様は何を思い浮かべますか。〈バケーションレンタル〉とか〈ホームシェアリング〉っといった、外から入って来た言葉ではないでしょうか。
皆さんにとっては聞きなれた「Airbnb」(エアービアンドビー)という言葉をまずは理解していきましょう。
ビーアンドビーというのは英語で書くと「B&B」となります。
これはBed and Breakfastという言葉の頭文字をとったものになります。
直訳すると寝床と朝食。
主に英語圏では宿泊と朝食代金を宿泊代金に含む、比較的低価格で利用できる宿泊施設を意味します。
多くのB&Bは家族経営による小規模な宿泊施設、通常の住宅・民家をリフォームして営業している宿が多いようです。
日本ではほぼB&B=民泊という認識で使用されております。
では、「民泊」という言葉が定着するずーっとはるか遠くの昔、そもそも我が日本に「民泊」なる、似たようなモノはなかったのでしょうか。
日本人が「民泊」に対して難色を示す理由は歴史にあり!?
「1つ屋根の下で、食住をこなす」という観点から見れば、江戸時代、関ヶ原の戦い以降整備された街道に宿場町が設置され、その施設群の中の1つ、木賃宿(きちんやど)が近いのではないでしょうか。
食事の用意やルームサービスはなく、完全に素泊まり。
ご飯を食べたきゃ、隣の食事処へ行けばいいし、その気になれば備え付けの台所で自炊も出来てしまいます!と言えば聞こえがいいですが…
どちらかと言うと、ほんとに寝るだけで、その他は現代の格安航空LCCの様に課金に次ぐ課金の嵐。
しかもLCCの様に前向きではなく、後ろ向きの課金。
そうせざる負えなかった人々がしかたがなく泊まっていた宿でした。
室内や寝具は不衛生。「やど」を逆にした、「ドヤ」という言葉が出来たのもこの辺りの“負のイメージ”からだそうで、
今で聞く「ドヤ街」など、“負のイメージ”が払しょく出来ないまま今日まで至り、「この木賃宿スタイルが簡易宿泊の元祖なんです!」と聞いてしまうと、大和魂に刻まれた「負のイメージ」から、日本における民泊のイメージが良くないのは、致し方がないことなのかも知れません。
日本人のおもてなし精神、接待が民泊を作る
では、木賃宿発祥説以外に日本の民泊のルーツは語れないのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。
皆様は、四国八十八箇所をはじめとした、お遍路をご存知でしょうか。
このお遍路さんは決められた経路にてお寺からお寺を回り、巡礼していきます。
次のお寺まで街道沿いに行ければ、飲み食い、宿には困らないでしょう。時には宿場もなければ、険しい山道を通らなくてはなりません。
お遍路の発祥は、病気になったり、何かしらの不幸に見舞われた方が、最後に神にすがるところから始まっています。
道中の険しいところでは、野垂れ死んでいった方々も多くいたそうです。
宿に泊まれないお遍路さんはどこに泊まっていたのでしょうか。
お寺には、通夜堂(つやどう)という宿泊場所を善意で提供しているところもあり、また善根宿(ぜんこんやど)という地元の人がこれもまた善意で提供している宿があるのです。
近くに宿がなかったり、道中に宿泊施設があったとしても、毎回施設に泊まると莫大な費用になります。
なので、お遍路さんは、善意の無料宿泊場に泊まるのです。
この善意のことを「お接待」いい、お接待とはお遍路さんに対する無償の施しの事で、弘法大師に対するお供えでもあることから地元の方々は自発的かつ積極的におもてなしをします。
日本の心“おもてなし”の原点は「お接待」にあるのです。
民泊はサービスではなく、ホスピタリティ(おもてなし)
サービスとホスピタリティーは対立的に語られます。
サービスは、対価に対する奴隷的貢献であり、ホスピタリティーは、善意、無償の愛です。
前者は、「これだけやったから、これだけ対価を頂きます」、後者は、「したくてしてるだけなので、頂けるのであれば“気持ちの分”だけ受け取ります」の発想。気持ちの発生源、方向がまったく異なります。
日本は消費者を手厚く守る観点から、しばしば法での規制が厳しいモノになってしましがちです。
これは、サービス的な気持ちからくるものではないでしょうか。
サービスの対価を得ようとしているのではないかと思います。
海外の宿泊関連の法は、ホスピタリティー的発想で作られてる気がします。
『民泊とは、そもそも何なのか?』
木賃宿発祥のサービス的ルーツで語るのか。もしくは、お遍路でいう「お接待」、ホスピタリティー的、日本の心“おもてなし”的ルーツから語るのか。
ある日突然、日本に「民泊」という言葉が出てきたのではなく、そのルーツは確かにあります。
しかし、まだまだ“そもそも何なのか”定まっているわけではなく、どちらの気持ちで語るかによって今後、日本の「民泊」が定まってくるのでしょう。
まだ明確に民泊とはどちらなのか定まっていないのであれば、我々がそれを定義できるようになります。
Airbnbが最初日本に進出したとき、お金儲けよりも、人との触れ合い、外国人をもてなそうという志を持ったかが多かったのではないでしょうか。
民泊というサービスのおもてなしよりも、日本人としてのホスピタリティのおもてなし、今はどちらがメインストリームなのでしょうか。
私たちは、後者で語りたい。いつか“おもてなし”が日本の民泊のルーツになるよう、貢献していきたいと思います。
「民泊とは、“おもてなし”だ!」